幕末維新を読む 4  維新ヴィジョンの新機軸

三谷博著『維新史再考―公議・王政から集権・脱身分化へ』NHKブックス1248・2017年12月刊・本体1700円+税

「明治維新は自明の歴史ではない。また、日本人のためのみのものでもない。」(6頁)これは本書まえがきの末尾で発せられた、著者の執筆宣言である。幕末維新で何が変わったのだろう?わたしのようなシロウト読者の通念では、入口の道しるべには「尊王攘夷」とあり、出口には「専制開化」の道路標識が立っている。尊王の夢は「帝国憲法」で実現したのか?攘夷の志は「文明開化」で成就したのか?そこにネジレ、あるいは断絶、あるいは落丁のようなものが感じられないだろうか?そもそも最初の道標が間違っていたのだろうか?ならばその過程で、いったい何が起こったのか?本書によれば、維新革命が達成したのは、列強が主導するグローバル世界への参入と、政治体制の中央集権化と、身分制の解体(国民の創出)である。これらはいずれも客観的に検証可能な歴史事象であり、こうした大事業を最小限度の犠牲で成し遂げたところに明治維新のユニークさがあり、そのユニークな過程を客観的に説明し切ることこそ、本書の眼目であるとされる。さらに、「維新というと、とかく活躍した特定の藩や個人、そして彼らの敵役(かたきやく)に注目しがちである」(4頁)ことを、著者はこれまでの維新史の通弊とする。「二十世紀に書かれた維新史では、しばしば最も急進的な道を選んだ長州と尊攘運動が重視されたが、実のところ、安政五年政変の際、長州は政界に存在しなかった。……明治期を含めると約二十年に及んだ政治変革の過程では、尊攘に限らず、多様な政治課題が登場し、それらを解決しようと様々な政治勢力が競争と提携を試みた。本書では、その全体を通観し、局面ごとに最も活躍した主体群に注目しつつ、それらが織りなした各時期の動きを丁寧に紹介してゆきたい。」(162頁)こうして、禁裏、公儀、大名領国、家臣、陪臣、牢人といった政治アクター(主体)たちが、海防強兵、尊王攘夷、言路洞開、人材登用、公武合体、公議公論、王政復古、朝敵征伐といった、その都度その都度に優勢な〝旗印〟を掲げて主導権を競い合うその連鎖を、本書は論述していく。主導権獲得のための多数派形成活動のなかで、全面対峙が生む多大の犠牲は回避されたのである。竹越与三郎は『新日本史』(明治26年)で革命を、過去に範を求める「復古的革命」、理想は未来にありとする「理想的革命」、「現在身に降り積もりたる痛苦に堪えずして」発する「乱世的の革命(アナルキカルレボリゥーション)」の三つに分類し、最後者の例に維新革命を当てた。本書は登場するアクターたちの思想や世界観に過剰な思い入れをすることなく、竹越の言う「アナルキカル」な成り行きが、政治過程として克明に記述される。その筆致は明快で、爽快で、時に痛快である。しかし、個人に宿るものとしての思想や理念が等閑視されているわけでは、決してない。後に「政体」として実現する政治体制構想を持っていた橋本左内や、王政復古の可能性を予見していた岩倉具視が、その先見性を称賛される。「明治維新」という歴史ヴィジョンがよりリアルなものになり、19世紀後半の東アジアの一隅で起こったこととして近代世界史のなかにきっちり定位される、という読後感をわたしは味わった。グローバル・スタンダード(世界標準)で語られる維新史とは、こういうものなのかもしれない。(森本政彦記・2018/6/20)

幕末維新を読む 3 柳井市内の幕末維新史跡と関連スポットの好ガイド

岸田稔明編著『柳井にっぽん晴れ街道―小瀬上関往還・岩国竪ケ浜往還』柳井にっぽん晴れ街道協議会発行・2017年5月・税込2000円

柳井市の中心部で互いに接近しつつ、岩国方面と周南地域を結んで柳井市域を縦断していた2本の街道――それが小瀬上関往還と岩国竪ケ浜往還である。これらは古くから地域地域の生活道路でもあったので、沿道には今もたくさんの史跡が残っている。
この本は往還沿いの地勢・地理・名所・遺跡・史跡・旧家・名店・街道施設・宗教施設・公共施設などの重要スポットを隈なく拾い、地域ごと道順ごとに番号をつけ、全スポットにカラー写真付きでその由緒・歴史を解説する。スポットの数は、筆者が数えてみたところでは、(順路によるダブりを除いて)439箇所にのぼる。柳井の地理と歴史を知るのに、これほど見やすく、面白く、包括的なガイドは他にないだろう。
439スポットのうち、幕末維新関連が19ある。大畠地区に1、遠崎地区に6、柳井地区に2、阿月地区に9、新庄地区に1。遠崎はほとんどが月性さん関係だが、阿月の旧跡の主は秋良敦之助・世良修蔵・赤禰武人・白井小助・芥川義天・国行雛次郎等々、多士済々だ。最近新庄で岩政信比古の屋敷の発掘が進んだ。こうして、月性の説法=政治的言論人活動、阿月を拠点とする地域ぐるみ・住民ぐるみの維新運動、信比古が促したであろう国学思想の伝播といった、この地域の幕末維新の情勢が、地図の上ではっきりと見えてくる。柳井を訪れる人には、ぜひお手元に備えていただきたい1冊です。(2017.07.25、森本政彦記)

幕末維新を読む 2 遠征する側、される側

後藤敦史著『忘れられた黒船―アメリカ北太平洋戦略と日本開国』講談社選書メチエ・2017年6月刊・本体1850円

1853年と翌54年のペリー来航による日米和親条約の締結、1856年に来日したハリスとの日米修好条約の調印、この二つに挟まって1855年5月13日(西暦)に下田に入港した、2隻から成るアメリカ艦隊があった。司令官ロジャーズが率いる北太平洋測量艦隊である。 測量艦隊の英語名称は Surveying Expedition (測量・調査のための遠征隊)で、その任務は海洋および沿岸の正確な海図の作成と動植物標本の採集などの学術調査だったが、ロジャーズ司令官は、アメリカにとって有益と判断される場合には、条約の交渉・締結・調印を行なうことができる「白紙の全権」を与えられていた。
ロジャーズは、前年に結んだ和親条約の第十条――合衆国の船は、遭難時を除いては、下田・箱館以外には入港できない――を逆手に取って、遭難時に入港の可能性がある諸所方々の港を測量させよと申し出るとともに、日本側の許可など待たず臆面もなく測量を強行した。要するに、その本性は「黒船」としての威圧感に満ちた測量・調査であり、日本はこの間、こうして毎年立てつづけに「開国」を迫られることになったのだ。 本書によれば、遠征して来る側のこうした強引さの背後には、当時の欧米列強の領土的・軍事的・経済的な競い合いや、それぞれの国内事情や、艦隊司令官の個人的野心があった。そして、本書およびこの著者の前著『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎・2015年1月刊・本体6200円)によれば、この測量艦隊への対応をめぐって、遠征される側の日本における葛藤や亀裂や混迷は深まったのである。とすれば、今では「忘れられ」てはいるものの、この艦隊の存在は幕末維新史の根幹に深く関わっている、と言えるだろう。(2017.07.17、森本政彦記)

幕末維新を読む 1 月性研究の新しい視野

上田純子著「儒学と真宗説法―僧月性と幕末の公論空間」
塩出浩之編『公論と交際の東アジア近代』に収載(東京大学出版会・2016年10月刊・本体5800円)

月性さんの才知は漢詩漢学によって培われ、その弁舌は法談のノリのなかで磨かれたであろう。向学の「志」をバネに、領国の垣根を越えて遊学した月性さんは、詩文の能力と儒学的教養の知力で身分の壁を突き破り、文士・志士・藩の改革派要人たちと対等の交友関係を結んで、天下国家の大事を議論する「士大夫」サークル(政治的知識人がつくる言論空間)の一員となる。 折からの黒船艦隊の来航は、月性さんにしてみれば、西欧列強が16世紀以来インドや中国で行なってきたことに照してその侵略的意図は明らかであり、ここで月性さんは、宗教的にも経済的にも軍事的にもこれを自力撃退(攘夷!)しなければならないと、武士のみならず農民・庶民に呼びかけたのだった。
【以下、引用】 月性は、この士大夫型知識人として自らの政治的主体化を模索する一方で、真宗僧としてその説法で、海防という国家的課題への対応を広く聴衆に訴えた。一八五五年以降の萩城下には、藩主以下士庶男女にわたる幅広い階層が、海防と言論という国家的課題に関心を持つ状況が現出した。これは、公共的論議の術を習得した知的エリートによって論理化された海防をめぐる論議が、真宗僧の説法というメディアによって拡散された結果である。儒学的教養と真宗説法との二重言語は、儒学的教養を持つ武士に対しては、国家や救世済民に対する使命感の自覚を促し、また、仏教―真宗教学に媒介された報国・報恩の思想は、広く民衆に国家への同調と献身を要請する。月性の論説・説法は、この両者に国家の主体としての自覚を促したものと言えよう。(上掲書p.70) 【引用終わり】
藩校や私塾(清狂草堂もその一つ)という、当時盛んだった教育・言論活動に加えて、エリートにも庶民にも通じる言葉を駆使しての熱烈な説法という、月性さんならではの活動は、幕末における公論(世論)の形成と不即不離の関係にあったのだ。 ‘憂国の説法僧’というリアルな月性像を提示するこの論文は、幕末維新史への見通しの良い視野を拓いてくれる。(2017.07.11、森本政彦記)