この映画、大正12年に作られました。

 月性の偉業を全国にPRする映画製作は、弁士のいる無声映画の時代でありました。
 主演俳優以外は地元の人たちがエキストラとなっての出演で、妙円寺周辺と対岸の笠佐島で撮影が行われました。
 現在は、当時の映像に音声を加えて編集したものを月性展示館で見ることができます。

観遁す勿れこの特別大映画
史劇海防僧妙圓寺月性上人
清狂會教育活動寫眞宣傳部
【製作当時の資料】

「映画釈月性」の一場面 月性 松下塾を訪う

 吉田松陰を師と仰ぐ松下村塾は幕末の頃、幾多の勤王憂国の志士を生み、維新の大業の原動力となった。今日も、門下生が松陰の前に集まっていた。
 そこへ高杉晋作、続いて久坂義助が駆けつけて来た。ただ今江戸よりの急飛脚によれば、幕府老中は朝廷の命を無視、条約を結んだげな。ゆゆしい一大事じゃ。勅命に背くは俗じゃ。征夷大将軍は天下の大俗、天下の諸大名、ことごとく江戸に味方するのではあるまいか。公家、長州の衆に諸大名を説得さすのじゃ。
 月性上人がおみえです。相変わらず盛んじゃのう。吉田殿しばらくです。月性殿お久しぶりです。京都の有様は如何でしたか。こと真に良くない。梅田雲浜、頼三樹ともに江戸に送られた。(続く)

「映画釈月性」の一場面 益田大夫邸

 ここは毛利公の家老、益田大夫邸である。座敷にとおった月性が置いてある火鉢を見ると、これが何と青銅製である。釣鐘までも国のために役立てているこの大事な時に何たることと月性、火鉢を抱え上げて庭に叩き付けた。
 この時益田弾正が姿を見せる。(続く)

「映画釈月性」の一場面 エンドロール

 この日は、近郊の児童もこぞって墓参する。
 月性、寂して120余年、その仁徳と偉大な事跡は、いまも輝いているのである。
 ※レンガの奥に見えるのが清狂草堂。その奥に墓碑がある。現在レンガは取り除かれている。